「怖くてたまらない」
友は病院のベッドに目を閉じて横たわっていた。
その姿は見るからにやつれていた。
様々な医療を、最高の医療を施したのだが、彼は病魔に打ち勝つ事は出来なかった。
彼の短すぎる人生の幕が下りるのは、時間の問題であることに疑いはなかった。
私は彼のやつれた顔を見つめながら、心の中でつぶやいた。
「友よ、後は私にまかせてくれ。君の築き上げようとした事業と、残された君の家族は私が責任を持って守るから」
その友が、私に答えるかのように突然目を見開いた。
そして私を見つけるとやつれた顔に突然生気がよみがえり、なぜか怒りの眼差しで私を睨みつけたのだ。
そして声を絞り出して言い放った。
「お前、裏切ったな、友として心から信じていたのに。俺が死んだら、俺の全てを盗み取るつもりだな、裏切ったな、許さない、俺はお前を許さない」
突然どういうことなのだ?
私は混乱した。
彼は、私の今までの行動を誤解している。
何とか彼の誤解を解かなければ。
私は何をどのよう説明すればよいのだろうか。
焦りが更なる混乱を生んだ。
彼は私に誤解を解く時間も与える事なく、私を許さないと何度も呟きながら息を引き取った。
彼の妻と子供たちの到着を待つことなく、私に憎しみの言葉をぶつけ、あの世へと旅立ってしまったのだ。
私に弁解する余地を与えることなく、心に大きな恐怖を植え付けて・・・
彼は完全に誤解していたのだ。
でも何故?
私は彼の事業をアシストしていた。
突然が体調を崩し入院してしまい、病気が発覚し余命があまりないと知らされたときに私は決心したのだ。
彼の事業を継続し、発展させて彼の残された子供たちに引き継ぐと。
もちろん彼の家族の生活は私が完全な形で保証する。
そのような私の活動を邪魔に感じる人間も多く存在した。
入院中の彼は、私を排除しようとする彼の取巻き達から、私に関する様々な情報を歪曲された形で聞いていたのだった。
最初は信じなかった彼も、何人かから同じようなことを聞かされ続けているうちに、次第に私の行動を怪しむようになったらしい。
その結果、彼は私が彼の事業と家族を乗っ取ろうとしている誤解してしまったのだ。
私にも落ち度はある。
入院していて動けない彼のところにもっと頻繁に訪問し、状況を説明していればよかったのだ。
私と彼は強い絆で結ばれる、彼ならわかっていてくれている。
入院している彼の精神状態を思いやることなく、そのように思い込んでがむしゃらに働き続けた私もいけなかった。
私の知らないところで、いつしか彼は私を憎み恨むようになっていった。
それから50年の歳月が過ぎ去った。
私は病院のベッドに横たわっていた。
死期が近いことは十分承知していた。
この50年間、波乱に満ちた人生だった。
彼に歪曲した情報を流した者たちは真っ先に会社から排除した。
私に対する様々な妨害や裏切りもあった。
そのことが、様々な憶測や私に対する悪い評判を産んだ。
彼の子供たちとの衝突もあった。
世界情勢の変化でピンチに陥ったことも一度や二度ではなかった。
それでも私は亡くなった彼の誤解を解くためだけに必死に立ち向かった。
彼の事業を発展させ、彼の子供たちを教育して事業を引き継がせるために。
結果として彼が立ち上げた企業は大きく発展し、世界に進出した。
彼の子供たちも、今では辣腕を振るうことで有名な経営者となった。
私は目的を達成することが出来たのだ。
私の役目は終わった。
今では彼の家族から感謝されている。
だが彼はどうだろうか・・・
私は彼の誤解だけは解くことが出来なかった。
だが、彼は私を見続けていたはずだ。
あの世で再会した時には、彼とまた昔のような心の絆を結びなおすことが出来ると思いたい。
その事だけが気になるのだ。
彼との再会が・・・怖い。
彼は本当に理解してくれているだろうか。
意識が遠くなる。
私もこの世にお別れを言う時が来たようだ。
思い残すことは無い、と言えば嘘になる。
でも、死んでしまった彼の誤解を解くことは不可能だ。
それは、これからの問題なのだ。
体が急に軽くなった。
遠くに明かりが見える。
誰かが私を迎えに来てくれているようだ。
彼だ、直ぐに私には分かった。
彼が私を迎えに来ているのだ。
だが、遠すぎてまだ彼の表情は読み取れない。
次第に彼が近づいてくる。
鼓動が高鳴る。
彼は私を許してくれるのだろうか。
怖い、怖い・・・
暗闇が訪れた。
そして、世界は静寂に包まれた。
物音ひとつしない。
私の心は不安で一杯になっている。
怖い。
この暗闇と静寂、ずっと続くのだろうか・・・
その時、暗闇のどこかで拍手の音が、パチパチパチと聞こえた。
そして、次第に拍手の音は広がり、大きくなって行く。
あっという間に、世界が大きな、ものすごい数の拍手で満たされていった。
闇が反転して明るくなる。
私の目に飛び込んだのは、立ち上がって拍手をしてくれる人、人、人。
涙があふれてきた。
映画の試写会は終わった。
「さあ、行くぞ」
映画監督が私の背中を押してくれた。
私は、監督や他の共演者たちとステージに向かって歩き出した。
世界的に有名な実業家の生涯を描いた映画作品。
無名の私を主役に抜擢してくれた監督。
映画が完成し、封切られるまで私は怖くてたまらなかった。
無名の新人である私の演技はどのように評価されるのであろうかと。
でもその恐怖は、今は大きな喜びに変わった。
私は今、嬉しくて嬉しくてたまらない。