「神はつかの間の人生から、釣りに費やした時間を差し引いてはくれない」
古代バビロニア諺
寿命が延びてきて、定年が延長されたり撤廃されたりの昨今、
私などは
「 人間死ぬまで働け」
と言われているような気がしてならない。
確かに妻にもそういわれる。
でもなぁ。
60歳に到達して、人生やりたい事を書き出してみた。
釣り
カメラ
見知らね土地の散策
神社巡り
里山トレッキング
ブロガー
マラソン
出てくる出てくる。
釣りについてもさらに考えた。
何を釣りたい?
国内なら
海外なら
20魚種や30魚種じゃ収まらない。
釣りで100魚種出会えるかな
などとも考えてみる。
でも、70歳まで働いていたら、無理無理。
会社卒業した時には、もう体が動かないって。
所詮夢物語。
楽しみの時間は人生から差し引けないからな。
体を目一杯動かせるのは、あと5年から10年。
時間が無さすぎる。
老いてあれもやりたかった、これもやりたかったとならないように、現状打破しなければ。
トライしてみること。
「人生に正解なんてないんだよ。自分で歩いてきた道を自分で正解にするだけ」
私の大好きな作家「森沢明夫」の小説の一言。
60歳までの人生は自分に納得できるものではなかった。
どちらかというと、世間一般的な生活を辛いながらもこれが人生と思いながら生きてきた。
マイホームを建て、子供二人を大学行かせ。
60歳、借金も無ければ貯金も無い。
これからの人生、そりゃ不安ですよ。
でも、老後のためにこれからも働き続けるっていうと、それこそ何のために生きているのか分からなくなってくる。
60歳はおそらく人生最後のターニングポイント、トライしないと絶句に後悔する。
成功、失敗、どう転んでも、行動したんだという満足感だけは手に入れたい。
人生最後は自分の足で歩きたい。
釣りとの出会いは3歳位かな。
最初の記憶、
親父に連れられて近所の川へ。
その頃、親父の愛竿は竹の次竿で、亀のマークが描かれていたのを記憶している。
そして、最初に記憶のある獲物は真っ赤な巨大なアメリカザリガニ。ブリキのバケツの中でガシガジ音を立てて動き回っていた。
なぜザリガニが釣れたかは不明である。
小学生になって初めて買ってもらったのも竹の次竿だった。
その頃の親父の愛竿は、グラスロッドになっており、亀のマークの竹竿は、おふくろが物干し竿を上げ下ろしする時に使う棒になっていた。
「フナに始まり、フナに終わる」
子どもの頃にフナで釣りの楽しさを覚え
大人になり行動範囲が広がると、海や渓流に足を運ぶようになって
フナから遠ざかっていきます。
で、老いてきて遠出が難しくなってくると
また近所の小川でフナを釣るというわけです。
体が思うように動かなくなったら、小川でフナ釣りでもしながら、成功しても失敗しても、人生のラストは面白かったとニンマリ笑いたい。