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高齢者の車の運転について考える ~整形外科医院の駐車場にて

 記事の内容

 

高齢者の運転事故

昨今、高齢者の運転事故が頻繁にニュースで伝えられる。

年齢による運動機能の低下や、病気による操作ミスが原因と考えられる事故ばかりだ。

ネット上でも、高齢者の運転に不安を感じる人のコメントが沢山掲載されている。

 

高齢化が進む中、事故を削減するためにはどうしたら良いのだろうか。

 

単純に高齢者の車の運転を禁止すれば済む問題なのだろうか。

 

地方都市の整形外科医院で

私は現在、交通事故(加害者)でむち打ち症になり、整形外科医院にほぼ毎日通って治療を受けている。

 

そんなある日、受付よりも早めに医院につき、車の中で音楽を聞いていた。

 

次々に駐車場に車が入ってくる。

 

そんな中、車の後ろに高齢者ドライバーのマークを貼った軽自動車が入ってきた。

助手席からおばあさんが下りて、医院の受付から車いすを借りてくる。

どうするのかな、と思ってみていたら、運転席の横に車いすを置いた。

すると、運転席からおじいさんがおばあさんの助けを借りて下り、車いすに座った。

 

えっ、あのおじいさんが車を運転していたの?

 

さらに別の車からは、運転席から杖をついたおじいさんが。

 

信じられない後継の連続を目撃してしまった。



車がないと生活できない高齢者世帯が増加している

母親(82歳)の話を思い出した。

 

「〇〇サンはさ、免許更新の前にXX眼科で薬打ってもらうんだって、そうすると一時的に目がよくなる。そうして免許更新したんだって。△△サンもそうしたよ」

 

その話を聞いて、私は母親に、

「それってまずいんじゃないの?」

 

と言ったのだが、

「でもね、〇〇さんも△△さんも車がないと買い物にも医者にも行けないからねぇ」

 

さらに、

「□□さんもついに施設に入っちゃったよ。あそこの家も空き家になっちゃったねぇ」

 

ここ数年、こんな話はよく聞く。

 

私の家の周りは、区画整備が進み、新しい住宅が次々建設されている。

学校や市役所などの公共施設、スーパー、駅が徒歩圏内だからだ。

 

しかし、散歩で少し歩き、田畑が多くなると、空き家も目立ってくる。

 

近所の建設ラッシュとは裏腹に、市の人口は毎年少しずつ現象しているのが現実、着実に高齢化は進んでいる。

 

戦後、核家族化がすすみ、現在は不便な地域に住む方々は高齢者が多くなった

 

そのような高齢者世帯にとって、車は重要な交通手段、死活問題に直結するのだ

 

確かに、市内を循環するバスはあるのだが、本数は少なく、バス停までは遠い。

便利とは言いかねる。

 

地方都市に住む高齢者世帯の方々から、単純に運転免許を取り上げることは難しい問題だ。

地方都市でも、孤独死は増加している。

 

技術の進歩は高齢化問題を救うか

車や列車などの自動運転の技術の進歩が進んでいる。

また、AIの技術が徐々に生活に入り込んできた。

 

これらの技術を、高齢化対策に積極的に利用してもらいたいと願う。

 

自動運転の車は、高齢者にとって嬉しい技術ではあるが、金額的に入手は困難であろう(なんといっても老後に2000万円必要なのだから)。

その点を行政は積極的に考え、解決して頂きたい。

 

また、AIの技術により、高齢者の肉体をサポートし、運動出来るようにもなるだろう。

 

近い将来、技術の進歩は、高齢者問題を解決に導いてくれるものと期待している。



平均寿命は年々延びている 個人の考え方が大事じゃないか

その中で、健康寿命がクローズアップされている。

 

誰もが人生の最後を施設のベッドの上で過ごしたいとは思わないだろう。

私たちも、健康寿命を延ばし、いつまでも活動できる体を維持できるように努力しなければ。

 

男性は、よく定年退職後、やることが見つからず、ぼけてしまうことがある。

年金問題などで、政府は定年を70歳まで延期する、もしくは撤廃することを検討している。

ある意味、健康寿命を延ばすことに対しては効果的かもしれないが、半面、ストレスを抱えてそこまで働かなければならない。

結果としてどうなるのだろうか?

 

65歳前後で、生きがいを見つけて少しでも収入を得る手段もあるかと思う。

 

ちょうどNHKで、長野県伊那市の「ざざむし漁」の放送をしている。

腰の曲がった高齢の漁師さんが、川に感謝をし、漁が生きがいだと語っていた。

カッコいいと思う。

 

いずれにしても、健康寿命は個人の考え方、生き方で左右されるのかな。

最終的には、自分自身がどのように生きて、人生の終末を迎えたいか、明確な目標をもつことが必要になるのではないか。

 

なんだかわけのわからない記事になってしまってすみません。