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「せんべいを食べたい」この感情に支配された3日間(短編小説)

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その感情は突然湧き上がってきた。

 

水曜日、仕事を終えて会社を出た時だった。

外は蒸し暑かった。

こんな時は、キンキンに冷えたビールが飲みたくなるものだが、その日、お父さんの頭の中に湧き上がった感情は

「せんべいが食べたい」

であった。

 

その感情は、駅まで歩く間、頭の中でまたたく間にふくれ上がった。

 

「せんべいが食べたい」

 

少し焦げた、香ばしい香り

バリっとした歯ごたえ

口の中でかみ砕くと、心地よい破壊音が脳細胞に直接響いてくる

バリバリ

そして、唾液と混ざりあい、かみ砕き音は次第に小さくなるとともに、香ばしい醤油味に甘みが加わってくる

そして飲み込む

 

頭の中で明確にイメージできるまでになってしまった。

 

電車の中で吊革につかまっている間も、頭の中をせんべいが占領していた。

 

乗換駅についた。

ここから高速バス停留所までコンビニとスーパーマーケットが2軒ずつある。

バスの待ち時間も10分ほど。

せんべいを購入する機会は4回。

 

すぐに購入して、高速バスの中で食べようか?

いや、ダメだ。

それは出来ない。

バリバリというせんべいをかみ砕く音が、間違いなく周りの乗客の耳に入る。

マナー違反だ。

でも食べたい。

 

悩んでいる間にバス停に着いてしまった・・・

 

バスの座席に座っている間中、やはり頭の中を占領しているのはせんべいだった。

スマホの画面も、ましてや文庫本の文字も頭に入るわけがない。

ただひたすらせんべいの事を考えて小一時間、バス停を降り立った。

ここから自宅まで車で10分、途中店は無い。

自宅にせんべいが無ければ、もはや今日せんべいにありつくことは不可能だ。

 

自宅に着くと、いつもの通り夕食が準備してあった。

風呂に入る。

 

その時気が付いた。

 

あれだけ頭の中を占領していた

「せんべいを食べたい」

という感情が、きれいさっぱり無くなっているのだ。

 

今までの俺はなんだったのだろう。

 

帰宅するまでの2時間、あれだけ猛烈に突き動かされていた

「せんべいを食べたい」

という感情はなんだったのだろう。

 

お父さんは、ぬるい風呂につかりながら考えていた。

 

翌日、仕事中は

「せんべいを食べたい」

という感情は全く頭の中に湧くことは無かった。

 

だがしかし・・・

 

会社を出た途端、昨日と全く同じ

「せんべいを食べたい」

という感情が湧き上がった。

本当に昨日と全く同じなのである。

 

自分はおかしくなってしまったのか?

誰かに暗示をかけられてしまったのか?

 

せんべいのことで占領されてしまった頭の片隅でお父さんは考えたのであった。

そして、自宅に着くとせんべいを食べたいという感情は、頭の中から消え去ったのである。

 

金曜日。

恐れていたことがまた起こった。

 

またしても会社を出た途端に

「せんべいを食べたい」

という感情が湧き上がった。

 

もう、せんべいを食べない限り、毎日退勤時にこの感情にもてあそばれてしまうのではないか。

お父さんはそう思った。

 

この日、お父さんは高速バスに乗る前に、コンビニで柿ピーとせんべいの小袋を購入した。

柿ピーはバスの中で食べるためである。

柿ピーならば回りの乗客に音を気にされることもないであろうと考えたのである。

柿の種もせんべいも同じではないかと考えたのだ。

せんべいは家に帰ってから食べるため。

 

バスに乗り込み、早速柿ピーを口に放り込んだ。

 

その瞬間

「違う、俺が欲していたのはこれではない」

脳細胞がそう判断した。

 

味は似ている。

しかし、柿の種のせんべいは似て非なるもの。

原料は同じでも、歯で感じる感覚は別なものである。

香り立ちも異なる。

 

「俺がたべたいのはせんべいなのだ」

 

お父さんは一口で柿ピーを止めてしまった。

でも、さすがにカバンの中のせんべいを出すわけにはいかない。

我慢の車中1時間であった。

 

帰宅して風呂に入り、食卓に座った。

いつもの通り水割りも準備した。

家族は自室に入り、お父さん一人だ。

 

お父さんはせんべいの小袋を取り出した。

 

せんべいを食べたいという感情はすでにない。

 

しかし、今日は食べてみよう。

 

せんべいを手に、そしてかじりつく。

バリっという心地よい音

そして香ばしい醤油の香り

意外とウィスキーの水割りに合うではないか。

でも、食べたのは一枚だけであった。

 

その日以降、お父さんにあの、

「せんべいを食べたい」

というモーレツな感情は湧き上がらなくなった。

あの三日間、頭の中を支配したあの感情はなんだのであろうか。

 

この夏、お父さんに起こった最大のなぞである。