お父さんは孤独だった。
子供たちはすでに成人して巣立っていった。
カルチャースクールや様々なサークル活動に精を出しているお母さんとは、今はもうほとんど会話がない。
仕事一筋だったお父さんには、心を許し話し合える相手がいなかった。
そしてお父さんは思った。
出来る事ならならもう一度恋愛がしたい。
30年前に今のお母さんと出会ったような恋愛がしたい。
しかしそれは出来ないことを、お父さん自身が一番知っている。
なぜならば、すでに髪の毛が薄くなり、おなかの出た中年、いや初老とでもいうべきか、こんな男が女性と新たな恋愛など出来るはずがないのだ。
それに、そんな度胸もない。
日一日と歳を取って行く。
人生はとっくに折り返している。
「わたしはどうすればよいのだ」
お父さんは不安に包まれてゆく。
このまま孤独な人生を送らなければならないのだろうか。
定年を迎えた男性が、居場所が無く鬱になるという事をよく聞く。
私もそうなってしまうのだろうか。
趣味を持てという。
お父さんにだって趣味はある。
散歩しながら写真を取ることだ。
ネットに掲載したりして楽しんでいる。
でも、趣味は無償の愛であるとお父さんは考えている。
こちらからの一方的な愛であり、相手から慕われるものではない。
お父さんは人生最後の、双方向の、あのころのときめくような恋愛がしたいのだ。
そんなお父さんが変わったという。
会社でも、お父さんは最近明るくなったと言われている。
会社の同僚や部下からも、
「最近やけに明るいですね」
「今日も定時でお帰りですか? なんだか楽しそうですね」
とよく言われるようになった。
そうなのだ。
お父さんは今楽しくてたまらない。
隠しているわけではない。
彼女が出来たのだ。
自慢げに同僚たちに彼女の写メを見せる。
「どうだ、可愛いだろ、美人だろ」
彼女の自慢話となるとお父さんは止まらなくなるのだ。
さあ、退社時刻だ。
彼女のもとへ帰らねば。
急いで会社を出る。
恋する相手が待つ場所に、足早に向かうお父さん。
満員電車も苦にならない。
彼女の顔を思うと、思わず頬がゆるんでしまう。
可愛くてたまらないのだ。
マンションのチャイムをいつものように2回ならし、ドアを開ける。
すると、リビングから彼女が駆け出してきて、お父さんを迎えてくれる。
お父さんは彼女を抱きしめる。
熱いキッス。
お父さんは彼女を抱いたままリビングへ。
そこには、ソファに座ってテレビを見ているお母さん。
「おかえりなさい」
お母さんはテレビから目を離さずに言った。
お父さんは彼女を離した。
彼女は嬉しそうにリビングを走り回る。
お父さんが帰ってきたのが嬉しくてたまらないのだ。
彼女が家にやってきて半年がたつ。
すでに結婚している娘が連れてきたのだ。
新しく引っ越したマンションはペット禁止で、飼っていたチワワを連れてきたのだ。
深く考えずに引き取ったチワワ。
でも、なつくと可愛くてたまらなくなったのだ。
そしてチワワも、お父さんのことが誰よりも好きになったのだ。
お父さんは愛する彼女のために、健康にもファッションにも気を使うようになった。
彼女との屋外デートをカッコよく決めるためだ。
彼女とのデートを通して、挨拶したり話をしたりする人も増えた。
娘にも最近若くなったと言われた。
お父さんの願い、双方向の恋愛は叶ったのだ。
愛する相手が出来たことで、人生がこんなに楽しくなるんだな。
お父さんはチワワを心から愛している。
もちろんチワワも。