遮光器土偶は宇宙人
遮光器土偶の写真を始めてみたのは、小学校2年生の時だと思います。
学習雑誌の付録に付いてきた小冊子の始めに、その異様(当時はそう思えた)な姿が紹介されていました。
大昔の遺跡から発掘された土偶。
あまりにもショッキングな姿のため、脳裏に深く刻まれてしまいました。
何なのだろうこの姿。
人間を模して造られたものでは絶対にない、と思ったのです。
その後、色々な少年誌で見かける機会があり、私が信じたのは、
太古の昔、人類は宇宙人と交流があった。
遮光器土偶は宇宙服を着た宇宙人である。
でした。
この思いは、SF小説にどっぷりと浸かってしまった大学時代により強くなったものでした。
縄文時代はアートの時代
縄文時代の土偶は、遮光器土偶以外にも奇抜な、本当に宇宙人の姿のようなものが多数出土されています。
また、火焔式土器などは当時の私にとっては全くの要と不明のもの。
ただ、どうしてこのような模様の土偶や土器が作られていたのかが不明で、やはり宇宙人との交流説を信じざるをおえなかったのです。
当時まで、この時代の人たちは、毛皮の服を着て、矢じりをもって動物たちを追いかけていたと思っていたのですから。
ですが、実は縄文人はオシャレで、決して原始人の延長で考えてはいけないとようやく考えるようになってきたのです(遅すぎる!)。
彼らの精神文化として根底に流れていたのは、自然への畏怖と敬意。
それを形に表したのが土偶や土器(もちろん実用的なものも数多く出土されています)。
今の現代人が忘れかけているものを大切に継承していたのだなぁと。
この時代、集団を形成して生活している縄文人の中には、自然と交信できる女性「シャーマン」が存在していたようです。
シャーマンは集団の中では重要な地位にあり敬われていたとか。
遮光器土偶も、今では女性、それもシャーマンがモデルではないかと思うんです。
人間や動物を極限までデフォルメして作品にする。
縄文人、ジョーモニアンは芸術家だったのですね・
縄文時代
縄文時代(じょうもんじだい)は、日本列島における時代区分の一つであり、世界史では中石器時代ないしは、新石器時代に相当する時代である。旧石器時代と縄文時代の違いは、土器と弓矢の発明、定住化と竪穴式住居の普及、貝塚の形成などが挙げられる。
始期と終期については多くの議論があるが、まず始期に関しては一般的に16,000±100年前と考えられている。終期は概ね約3,000年前 とされる(諸説あり)。
16000年前にこんなものを生み出していた私たち祖先(?)って、凄いと思いませんか?
精神文化は今以上では無かったかと思えるくらいです。
現代人は、兎角合理性を追求しがちですが、縄文文化を代表する土偶や土器を見て、人間の本来あるべき姿、人間は自然の一部であり、自然によって生かされているのだということを、ある意味再認識させられるのは私だけでしょうか。
縄文時代の終焉
縄文時代は、大陸から稲作文化を持ち込んできた弥生人の登場により、終焉に向かいます。
縄文人の特徴は、堀の深い顔立ち。
弥生人の特徴は、のっぺりとした顔立ち。
現代の日本人のDNAには、両方が含まれているそうです。
稲作文化が大陸から入ってくると、縄文文化は吸収、あるいは北へと追いやられてしまいます。
弥生文化は合理的な面を多数含みます。
土器も縄文時代とはがらりと代わり、機能性を重視したもの。
また、稲作を通して階級制度も誕生します。
このあたりの時代については、
荻原浩さんの小説「 二千七百の夏と冬」に大変興味深く書かれています。
現代人は今一度縄文文化を勉強すべき
現代人の幸せとは?
年金問題や、70歳まで働けとか、我々の幸せってどこにあるのでしょうか?
ものが豊かにあって、消費できれば良いのかな?
でも、それを追い求めて生活しないと生きて行けないし。
人生の価値観って?
今の時代、考えれば考えるほど矛盾が生じてきます。
本当の豊かさって何なんだろう。
遮光器土偶を見ながら考えて見なければ・・・