創作の森に迷い込んだカエルの話

写真家、小説家などの創作活動にあこがれるカエルが、ふとしたきっかけで富士山の麓にある創作の森に迷い込んでしまったお話

ショートショート「捕食者」

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「捕食者」

 

 6月の、雨が降り続く蒸し暑い夜の出来事だった。
 彼は何気なく、いつも餌が下りてくる頭上の扉を見上げた。
 少しだけ開いている。しかし餌が下りてくる気配はない。そのはずだ、先ほど食べたばかりなのだ。
 試しに鎌首を持ち上げ頭で扉を押すと、事も無げに開いた。
 迷いはなかった。彼はゆっくりと住んでいる水槽の外に出た。
 今まで水槽のガラス越しから見ていた室内を見回すと、窓が少し開いている。そこからはまるで彼を誘うように、暖かく湿った風と雨音が入り込んでくる。
 彼は導かれるように、どこか懐かしい雨と皮膚に絡みつく湿気に満たされた暗い屋外にはい出て行った。

 俺はシャワーを浴び、缶ビールを片手にリビングに戻ると、すぐに異変に気が付いた。
 水槽の中にいるはずのアミメニシキヘビがいない。それに上部の蓋が開いている。
 素早く部屋を見回すと、換気のために少しだけ開けておいた窓に目が留まった。ヘビはそこから外に出たのか?
 まずい、大変なことになった。
 餌を与えた後、しっかりと扉を占めなかったのだろうか。
 おまけにこんな時に限って窓まで開けていたなんて。
 俺のヘビはまだ体長2メートル足らずの子供ではあるが、環境省の定める人の生命や身体、又財産に害を与える恐れのある特定生物である。そのヘビが屋外に逃げ出したことが世間に知れ渡ったら大事になることは間違いない。
 慌てて外に飛び出したが、降りしきる雨の中、おまけに夜の闇では探しようがなかった。
 ちょっとした不注意を、俺のヘビは見逃さなかったのだ。もしかしたら、絶えず屋外に脱走する機会を伺っていたのかもしれない、という疑念が頭の中に湧き上がる。
 雨の中、頭から血の気が引いて行く。
 警察に連絡しなければなるまい。


 気持ち良い暖かい雨が、そして湿った風が彼の皮膚に刺激を与えた。初めて経験する、しかしどこか懐かしい感覚を全身で感じた時、彼の全身は喜びで満ち溢れ、そして今まで眠りについていたような脳細胞は覚醒した。
 本来であれば、アジアの熱帯ジャングルの捕食者頂点に立つアミメニシキヘビとしての野生の魂にスイッチが入ったのだ。
 狭い水槽から逃れ広い世界に放たれた喜びと、彼のDNAが記憶していた未だに見たことのない故郷の熱帯ジャングルに似た天候の夜に彼の肉体が呼応し、本来の能力をみなぎらせ始めたのだ。
 彼は暗闇の中に水の流れる気配を感じ取ると、すぐに水路を見つけ出した。そして躊躇することなくそこに滑り降り、雨で水量の増した流れを利用し下流へ下流へと移動して行った。初めての水中での移動であったが、すでに野生の感覚を取り戻した彼にとっては当たり前の行動だった。
 しばらくすると彼を運ぶ流れは、大きな河川に合流した。合流地点は広大な河川敷となっており、深い草木で覆われている緑地帯を形成していた。
彼はそこに上陸した。そして全神経を集中させ、河川敷の藪の中を確かめるようにゆっくりとゆっくりと動き回った。
 不安や恐怖心はみじんもなかった。新たなこの地で、生息する生物の頂点に立つための確認のようなものだ。
 闇の中のあちらこちらに、彼の捕食対象となるであろう生き物の気配を確認することができた。昆虫や両生類、小型の哺乳類のなどの様々な気配だ。既に川には多くの魚が生息していることも確認済みであった。
 暖かい雨に濡れた夜の藪は彼に安心感を与え、本能が身を潜めるのに最適の場所であることを教えた。
 頭を持ち上げ、新たな住処となるこの地の周囲を見渡す彼の漆黒の瞳に、川向うの高層ビル群の明かりが反射していた。

 俺の予想した通りになってしまった。
 テレビから超危険生物が逃げ出したとニュース速報が流れ、近隣住民に注意喚起がなされた。
 翌日から早速テレビのワイドショーはどこも大々的に、しかも視聴者の恐怖をあおるような報道を開始した。
 そう、アミメニシキヘビは巨大なものでは8メートルを超え、生息する東南アジア地域では人を食べた例が後を絶たない。そんなことから人食いヘビだと強調して報道するマスコミも多数現れた。
 専門家と称する人物が、テレビ画面の中で得意になってその恐ろしさを解説している。
 ネット上ではすでに飼い主である俺の素性が暴かれて拡散され、とんでもない悪党に奉られていた。
 おかげで会社に行くことも、外を出歩くことも満足にできない。
 不注意とはいえ部屋から逃げ出したのは、まだ2メートルにも満たないアミメニシキヘビなのだ。
 俺は頭を抱えた。

 この場所は予想通り食料が豊富にあった。鳥や小動物、両生類に爬虫類。なぜか警戒心にかけているとしか思えないような動物も沢山いる。
 ゴミを漁るカラスという黒い鳥は、じっとしていれば向こうから口元に近寄ってくる。狸のような小動物も子連れで動き回るところによく出くわした。今まで天敵がいなかったせいか、獣道に身を潜ませていれば、彼にとって簡単に狩ることができた。
まだ十分に成長していないヘビであっても、彼を脅かすような存在はこの地に何も見当たらなかった。
 すでにこの地で、彼は生態系の頂点に立っていることを感じ取ることができたのだ。
野生の本能を取り戻した彼にとっては、ここはまるで楽園のような場所で、すでに王であった。
 頻繁に、以前彼に餌を与えていた者と同じ人間が姿を表す。彼らは主に日中の明るい時間帯にこの場所に現れるが、彼の潜む藪の中まで入ってくる者はいない。主に夜間に活動する彼にとっては別段気にも留める必要はなかった。
 そんな彼の記憶の中では、餌を与えていた人間は時折彼を水槽から取り出し、首に巻いて喜んでいた。
 この場所で十分に獲物を捕食し、成長した後には彼にとってその人間たちをも狩ることが可能になる。人間に絡みつき締め上げればいとも簡単に捕食できるはずだ。
 ここは本当に住むには最高の場所なのだ。
 彼は近い将来、この場所よりも広い世界で、絶対君主として捕食者の頂点に君臨できると確信するのであった。

 俺のところから逃げ出したアミメニシキヘビは、3か月が経過しても見つからなかった。
 季節はもうそろそろ秋に入る。
 そんな俺の頭の中は、金の事で一杯だった。
 様々な法律により裁かれる可能性があるからだ。
 まずは動物愛護法。少なく見積もっても50万円前後の罰金が発生するらしい。
 今のところ、逃げ出した俺のヘビが何らかの危害や損害を与えたという話は聞かないが、人に怪我を負わせれば重過失致死罪に問われるし、ペットなんかを食っちまったら賠償問題に発展する。
 そのうえ俺はネット上で激しくバッシングを受けて、会社にも行けない状況が続いている。
 ヘビよ、早く見つかってくれ。できれば死んだ状態で。
 唯一の慰めは、熱しやすく冷めやすいいマスコミの特性で、最近はヘビ騒動がほとんど取り上げられることがなくなってきたということだ。

 日中の時間が次第に短くなってきたようだ。それと共に肌に感じる風も涼しくなってきたが、そのようなことを気に留めるヘビではなかった。
 だが、11月に入ったある夜、雨が降り気温が一気に低下した。
 彼にとっては初めて経験する屋外の寒さだった。
 体が思うように動かない。藪の中で身を潜め冷たい雨に身をさらす彼の意識は朦朧としていった。
 明け方、雨が上がり太陽の光が地面を照らし始めると、彼は暖かさを求めてのろのろと日光で温められたアスファルトの地面にその体を移動させ、とぐろを巻いた。体温を少しでも上げたいのだ。

 11月にしては珍しいほどの冷たい雨が降った翌朝、太陽光を浴び水蒸気で靄が立ち込める河川敷を犬と散歩する住民が、遊歩道上でとぐろを巻いている巨大なヘビを見つけ警察に通報した。
 ヘビは急激に冷え込んだ天候によりあまり動くことができないのか、比較的簡単に捕獲された。
 そのヘビが、5か月前ほどに逃げ出したペットのアミメニシキヘビであると判明するのに時間はかからなかった。

 俺はヘビが見つかったとの連絡を受けて警察に赴いた。一回り大きくなっていたが、   間違いなく俺のアミメニシキヘビだった。
 見つかったのは良いのだが、頭の痛いことに今回の騒動で俺はヘビを引き続き飼育することができなくなっていた。さらに、飼育していた他の爬虫類や両生類も手放すことになってしまったのだ。
 同じマンションや近隣の住人の反発が予想以上に大きかったのだ。
 転居も真剣に考えなければならない状況なのだ。
 ヘビは一旦動物園に預かってもらい、どうするかを至急考えねばならなかった。

 彼は再び狭いケージの中に閉じ込められた。
寒さのせいなのか、再び以前と同じ狭い環境下に置かれたためなのか、彼の脳細胞はスイッチが切れたようになり、思考が希薄になって行った。
 とぐろを巻いてただひたすら休息しているのだ。
 ただ脳細胞の奥底で、またここで生活しなければならないという推奨感が彼を包んでいることは間違いなかった。
 それでも屋外で自由気ままに生活し、生態系の頂点に君臨していたという自信だけはしっかりと彼の脳細胞に残っていた。
 体が元通り動くようになるまでは、しばらくここでじっと過ごしているのだ。餌の心配をする必要もなさそうだし。
 じっくりと、じっくりと体を大きくするのだ。
 今回の屋外生活で、明らかに彼の考えは変化していた。なんといっても、彼は捕食者の頂点にいることを自覚したのだ。成長すれば動きの遅い人間等だって充分に食らうこともできる。彼を脅かすものなどこの世にはないのだ。
 この狭い場所にずっといる気はない。しかし、しばらくここで休息しよう。外に出るチャンスはいくらでもある。

 逃げ出したアミメニシキヘビが見つかって、ようやく一件落着と言いたいところだが俺は職と多額の金を失っていた。
 それにもう、大好きな爬虫類や両生類を飼うことは諦めなければならない。
 俺に対する世間の風当たりがきついのだ。
 今の最大の問題は、見つかって戻ってきたアミメニシキエビをどうするかということだ。
 引き取り手も今のところ現れてこない。動物園も、いつまでも預かってくれるわけではない。
 俺は預かってもらっているヘビを見ながら決断した。
 この際、世間がなんと言おうとも殺処分するしかないだろう。それが俺にとっての唯一にして最良の方法、仕方がないことだ。
 それにしても、このヘビは以前よりもふてぶてしくなったような気がしてならないのだ。
 俺を見る目が、まるで上から目線というか、見下しているかのように感じるのは気のせいだろうか。
 今までに飼育した爬虫類たちからは、全く感じることのできなかった感覚なのだ。
 その無機質的な黒光りする目は確実に強い意志を持った生物の輝きで、見つめているだけで恐ろしささえ感じる。
 やはりこいつとはもう一緒に生活できない。今回以上に恐ろしいことを引き起こしそうな予感がする。
 やはりうサヨナラだ。5ヶ月の間、屋外で自由気ままに過ごしたのだから、もう心残すこともなくあの世に旅立てるだろう。
 成仏しろよ。