創作の森に迷い込んだカエルの話

写真家、小説家などの創作活動にあこがれるカエルが、ふとしたきっかけで富士山の麓にある創作の森に迷い込んでしまったお話

Webライターのひとりごと「年齢って何だろう」

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年齢について考えるようになった

 常日頃、年齢について考えるようになってきました。

 何故でしょうか。

 もう若くないから?

 人生の折り返し地点をとっくに過ぎてしまい、残された人生を意識するようになったから?

 今までの人生、不完全燃焼で過ごしてきたから?

 とにかく意識し始めたんです。

 そこで、これを機会に年齢というものっていったい何なのだろうと考えてみました。

 

年齢って何なのだろう

 あなたは今いくつですか?

 そして今、何をやっていますか?

 これからのあなたの夢は?

 あなたの年齢によって、やっていること、これからの夢は変化しますよね。

 今の年齢だと、世間一般的にはこのようなことをしているのが普通だから、自分もこうでなければならない。

 とか、

 そろそろこうゆうことをするべき年齢だ。

 とか。

 サラリーマンだとしたら、課長などの管理職になる時期だ、家を建てる時期だ、等々。

 その大半は、自分が今いくつだからこうしなければならないという固定観念に縛られているのではないでしょうか。

 年齢って一体何なのでしょう?

 

年齢と言っても様々な種類が

 年齢にはたくさんの種類があります。

「肉体年齢」「運動年齢」「肌年齢」「血管年齢」「脳年齢」。

 これら生物学的に見て身体の老化に影響する年齢に関しては、年齢より若いといわれると嬉しいものです。

 半面、「精神年齢」「知能年齢」「性格年齢」といった、人間の内面的人格的な成長に関連するものに関しては、低いと逆に他人に比べ劣っていると感じて不安になったりもします。

 

年齢と行事

 日本では(海外でも)年齢によって様々な行事があります。

 生まれてすぐに、お七夜、お宮参り、お食い初め、初節句、七五三。

 昔からの、人々の新しい命が誕生した喜びと、健やかに育ってほしいという願いの大きさの表れだと言える行事ですね。

 そして成人式、大人の仲間入り。

 社会人として生活して行く家庭でも、結婚式、厄払い、そして長寿の祝い。

 人生という歴史を歩む過程で、節目節目で様々な行事を行うことで、人間としての使命感を認識するのですね。

 その節目節目の行事以外に、適齢期という言葉も存在します。

 もうそろそろ結婚する年齢を現す「結婚適齢期」がすぐに思いつきます。

 ほかにも「妊娠適齢期」「引退適齢期」。

 適齢期に〇〇をつけて、様々な適齢期が作られています。

 

年齢はどのように決められるのか

 この年齢を計る物差し、時間って何なのでしょう。

 人が生まれ、人生がスタートした日は戸籍によって記録されています。

 そして時間の基準となっているものは地球の自転と公転。これによって年齢を判断するわけですよね。

 私たちの年齢は、戸籍と地球の動きによって決められている。

 と言っても間違いではないでしょう。

 

年齢という固定観念

 その年齢、私たちは固定観念に縛られ過ぎているのではないかと思ってしまうのです。

 そのことを強く感じるのが、サラリーマンの定年。

 現在は日本人の健康寿命が伸びてきて、定年も伸びて場合によっては無くする動きも出ていますが、定年を意識し始めたシニアと言われる世代の人たちの口から

「もう歳だから」

「もう若くないんだよ」

 などという言葉が聞かれるようになってきます。

 

 ここでもう一度考えてみましょう。

 私たちは年齢という固定観念に縛られ過ぎている。

 確かに、年齢に関係する行事で、生まれてきた新しい命が健やかに育つのを願い、その姿を見て喜ぶことは大切なことだと思います。

 その後、自力で大地を踏みしめ人生を歩み始めたら、もう年齢は関係ないのではないでしょうか(私は年齢とキャリアは別物だと思います。年齢は生まれてからの時間、逆算すれば死ぬまでの残された時間。キャリアは生きてきた過程での様々な経験。キャリアは長く生きているからと言って沢山たまるものではなく、また短期間でためることも可能なもので、人によって大きく異なるものだと考えています。したがって全くの別物だと)。

 確かに歳を積み重ねていくに従い、肉体に関連する年齢に関しては、体に無理がきかなくなってきます。

 しかし、生物には個体差があり、寿命なんていうものは30~40年位の差は十分にあるのではないでしょうか。平均寿命というものがありますので、長く健康に活動して行くための指標としては肉体に関連する年齢は参考になる「数値」だと考えます。

 一方、人間には個性がある。一概にこの個性を歳相応と言われる観念に縛り付けて、無理やり平均的な世間一般的な人間の生活と比較するのはおかしいのではないかと思うのです。

「私は今いくつだ。だからこうすべきだ」

 とかね。

 

 最近の、その最たる例は老後のためにひつような貯蓄は2000万円という問題。

 多くのシニア世代はその金額に不安を抱いています。

 最近のネット記事にも、貯蓄や年金受給額の話題が頻繁にアップされ、日本国民の不安を煽り立てる。

 そうやってお金を儲けている人は儲けているのですよね。

 人間不安なことには敏感で、そのようなことは金儲けに直結するのです。

 これも、ある意味年齢という観念を利用されているわけです。

 

年齢の固定観念を捨てて自由になろう

 私、思うのですけど、老後とか、歳相応という年齢の固定観念を捨てませんか。

 年齢なんて意識することなく、いくつになってもやりたいことを見つけてチャレンジすればよい。そのためには年齢に対する様々な固定観念は邪魔ものです。

 そうすれば、年齢というものを意識した不安から解放されるのではないでしょうか。もっと自由になれるのではないでしょうか。

 自由人に「歳相応」「適齢期」「老後」「もう歳だから」「もう若くはない」という言葉は不要です。

 いくつになっても、その時点時点で年齢など意識することなく本当に自分のやりたいことをやって、自由に楽しく生きましょう。

 それだけで人生の不安は大部分解消できると思うのですが、いかがでしょうか。