創作の森に迷い込んだカエルの話

写真家、小説家などの創作活動にあこがれるカエルが、ふとしたきっかけで富士山の麓にある創作の森に迷い込んでしまったお話

Webライターのひとりごと「パンジー(三色すみれ)の花は異星人」

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 人間には五感というものがある。

 言わずと知れた「視覚」「聴覚」「嗅覚」「触覚」「味覚」

 その中で、視覚から入ってくる情報は全体の83パーセントにもなるそうだ。

 その視覚情報、目から入って来て最終的に私たちの脳細胞で情報を処理し認識される。認識のされ方は人さまざま、その人の生い立ちや生活環境にも大きく影響されてくる。

 同じ風景を見て癒される人もいれば何も感じない人もいる。都会で育ったか否かで育ったか、また両親の好みや幼年期の体験など人さまざまなので、感じ方も千差万別だ。

 好きな色も人によって違う。

 

 好きな色がなぜ人によって違うのかについて考えたことがある。

 常々思っていることなのだが、僕の感じている赤い色とか青い色は、他の人も同じように感じているのだろうかということだ。

 もしかしたら僕の感じている赤い色を他の人は青い色に感じているかもしれないし、他の人が感じている緑色は僕にとって黄色なのかもしれない。

 しかし、言葉としての色の表現は同じなので、色から感じ取る印象が人によって異なるということは、言葉としては同じ色なのだが、実際に目に映る色は人によって異っている可能性があるのではないかということだ。

 だから、言葉の表現上同じ色であっても、人の心に働きかける意味合いが異なって、色の好き嫌いに個人差ができるのではないか。

 

 色のとらえ方ではなく形のとらえ方についても、同じものを見ても、人それぞれそこから連想するものは違う。

 これはもう絶対的に幼年期から形作られてきたその人の感性によるものの違いからきていることだ。

 正直に話すとなのだが、世間一般的に花は可愛いし癒しを与えてくれる。僕だってそうだ。

 ただし、パンジー、三色すみれの花を除いて。

 

 パンジー、三色すみれの話である。

 ヨーロッパ産のすみれを品種改良したもので、夏以外は花を楽しめるそうである。

 僕としては、春先から6月頃が一番活力ある咲き方をしているように思えるパンジーなのだが、その花、僕にとっては異星人の顔に見えるのだ。

 6月、散歩していると遊歩道脇の花壇に沢山パンジーが咲いているのを見かける。色も様々だ。その花の形が異星人の顔の輪郭、現職のきらびやかな花の色に、真っ黒な模様がそれこそ目や口のように見えてしょうがないのだ。

 パンジーの花が集団で、同じ方向を向いて咲き誇っている姿を見ると、思わず立ち止まって見入ってしまう。

 他人から見れば、愛らしいパンジーの花に見入っているオジサン、と見えないこともない。常日頃、散歩にはカメラを持ち歩いているので、このオジサンはパンジーの写真を撮るのだろうと思う人もいるだろう。

 しかし、オジサンである私が頭の中で思っていることは、パンジーはやはり異星人だ。集団で同じ方向を向いているさまは、異星人の集団が隊列をなして地球に攻め込んできている姿に見える。赤い花は歩兵だろうか、青い花は砲兵、後ろに控えているのは看護兵か。などと考えているのである。

 可愛いというよりどことなく脅威を感じてしまう。花の向きがある程度バラバラならばそのようなことも感じないかもしれないが、パンジーは恐ろしく統率が取れているから余計にそのように見えてしまうのだ。

 

 同じように、子供の頃みた縄文時代の遮光器土偶も、その写真を初めて見たときは異星人だと思った。

 大昔の人間がこんな人形を作れるはずがない。絶対に宇宙人に遭遇して、その容姿を人形として表現したのだ。この時代、異星人と人間は密接に交流していたのだと。

 その後、少年史に遮光器土偶宇宙人説が掲載されているのを読み、僕の考えは確信に変わった。

 その遮光器土偶とパンジーもダブるのである。似ていませんか?

 その後少年はオジサンになり、さすがに遮光器土偶は異星人であるとは考えなくなり、今は女性の土偶だとしっかり思っています。本棚には小さなレプリカも飾ってあるし。

 

 僕はどうしてパンジーの花が異星人の顔に見えてしまうのだろうか。

 長年の疑問を解決するべく、今回真面目に考えてみたのです。

 幼年期、おそらく「異星人の顔 イコール パンジーの花」と連想をしてしまうような強烈な体験をしたんだろうな。

 記憶を遡ってみる。僕と異星人のファーストコンタクトまで。

 異星人というものを初めて知ったのは、間違いなく漫画の「鉄腕アトム」かテレビ番組の「ウルトラQ」であろう。

 「鉄腕アトム」に関しては、見て読んで興奮はしたが、カッコよさや楽しさばかりで、恐怖や不気味さというものを感じた覚えは全くない。

 そうすると「ウルトラQ」だろうか。この番組、小学校に上がる前に始まったのだが、めちゃくちゃ怖かった記憶がある。父親が、怪物は全て人間の作りもので中に人間が入っているのだと言ってくれたが怖かった。作り物の番組だと頭で理解しようとし、番組放送の次の日友達に会って、「昨日「ウルトラQ」見た?あれ、全部人間が作ったものなんだぜ、俺なんかちっとも怖くなかった」と強がっていたのを今でも覚えている。その番組、毎週毎週怖くても見てしまう。

 怪獣のほかにも沢山の異星人が登場していたはずだ。ネットでざっと調べてみても、セミ人間、ケムール人、ルパーツ星人、キール星人、出てくる出てくる。友好的な異星人はいなかったはずだ。

 パンジーの花を見て、僕は可愛さよりもどことなく恐怖に近いものを感じるので、「ウルトラQ」の恐怖体験がパンジーの花から異星人を連想させていることは間違いないのではないだろうか。

 結果として、「ウルトラQ」をはじめ、一連の「ウルトラマン」シリーズを手掛けた円谷プロダクションは、僕の感性に大きな影響を与えているといえる。この年になってもパンジーの花が異星人の顔に見えるのだから。

 そう考えると、円谷プロは偉大だ。その後、高校生以降僕は国内外のSF作品にドップリのめりこんでいった。そしてこのようなヘンテコなオジサンが出来上がったのだ。パンジーの花が異星人の顔に見えることは、喜ぶべきことなのかもしれない。

 

 最近、NHKのBS放送で「ウルトラQ」の4Kリマスター版が放映されている(2021年)。白黒で時代を感じさせるが(1966年放送開始だからね)、ストーリーはよくできていて古さを感じさせない。むしろ現代の特撮番組よりも当時の社会をシニカルにとらえているように感じる。幼い子供には内容的には少し難しく、やはり恐怖を感じる番組だったろうと思いつつ見ている。

 そのせいだろうか、今年はパンジーの花を見るたびに、頭の中で石坂浩二のナレーションが流れ始めるのだ(「ウルトラQ」のナレーションは石坂浩二が担当していたのです)。

 皆さん、愛らしい花を咲かせるパンジーの正体、実は宇宙からの侵略者が形を変えたものなのです・・・。