創作の森に迷い込んだカエルの話

写真家、小説家などの創作活動にあこがれるカエルが、ふとしたきっかけで富士山の麓にある創作の森に迷い込んでしまったお話

Webライターのひとりごと「先入観がぶち壊されて快感を味わった日」

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 その日僕は旧山手通りを神泉の交差点から代官山蔦屋に向かって歩いていた。

 時刻は朝の7時過ぎ。

 神泉交差点は通勤通学の人たちで少し混雑していたが、山手通りの歩道はまだ人もまばらな時間帯。走る車もあまりなく、静かに気持ちよい朝を歩くことができる。

 月に2,3回はこの時間、この場所を歩いている。蔦屋書店へ向かうのだ。そこのスターバックスでコーヒーを買い、屋外の席を確保し2,3時間ほどノートに駄文を書き綴ったり読書したり、時にはボーっと人間観察したりして過ごすのが好きなのだ。

 今から5年ほど前の単身赴任時代、この近辺に当時勤務していた会社がスゴク狭いワンルームマンションを借りてくれて住んでいたことがあった。その時はこのルートがお気に入りの通勤経路で、わざわざ遠回りして歩いて渋谷のオフィスに通っていたのだったが、途中の蔦屋でのんびりすることは1度もなかった。今考えるともったいない話である。

 僕は代官山蔦屋をマイパワースポットと密かに名付けている。この場所でしばらくのんびりと時間を過ごすと、ものすごく心が落ち着いてリフレッシュできるのだ。

 雰囲気も好きなのだが、調べてみるとこの場所は、水戸の徳川邸屋敷跡地で敷地内の巨石も当時のもので風水的に最高の場所ということだった。

 なるほど、そしてその波長が僕にぴったりとマッチしていたのか、と思うようになった。

 パワースポットはまた別の機会に書くとして。

 

 この近辺は大使館などもあり、高級住宅街と言われている地域。

 その日の朝も、のんびりと気持ちよく歩いていたところ、後ろから乾いた小気味よいエグゾーストノイズが聞こえてきた。

 最近はハイブリッド車などが増えて、ほとんどエンジン音のしない車が多くなった。 そのため早朝の静かな時間帯、かなり離れた場所から僕の耳に届くそのエンジン音は軽やかで、ある意味心地よく耳に入ってきた。

 瞬間的に頭に浮かんだのは、外国製のスポーツタイプの車。軽やかなエンジン音から、ポルシェやフェラーリなどの大排気量のエンジン音ではない。古いワーゲンやフィアット当たりの小型車ではないかと思った。

 いずれにしても、早朝のこの街並みにはマッチするシャレた光景がまもなくみられることになるだろうと。

 軽やかなエンジン音が間近にせまり、その車体が僕の視界には入ってきた。

「?」

 あまりにも意外な車に、立ち止まって見つめてしまう。

 年季の入った軽トラックだったのだ。

 座席にはタオルを頭に巻いた兄ちゃん二人、全開にした窓枠に肘を掛けて乗っている。

 朝日を浴びて軽トラックは、薄紫色の煙をマフラーから吐き出しながら、早朝の代官山山手通りをまさに颯爽と走り抜けていった。

「カッコイー」

 その去り行く後ろ姿を見送りながら思わずつぶやく僕であった。

 

 代官山という街と旧山手通りという場所的な先入観が僕の頭の中にあったためであろう、軽やかなエンジン音を響かせて走り去る軽トラックという実際のギャップは、今までに経験したことのないすごいものであった。

 僕の頭の中ではこの街並みに絶対にありえない車両であったため、想像していた車は外国製小型スポーツ車しか浮かばなかったのだ。これは、僕の頭の中にこの街はシャレた高級住宅街という強烈な先入観が自然と出来上がっていたことを証明するようなものである。

 それを、軽トラックという普段僕の住んでいる地元では見慣れている車がいとも簡単にぶち壊してくれた。

 しかも、走り去る軽トラックがめちゃくちゃ新鮮にカッコよく見えたのだ。

 ギャップの差にこれだけ感動したことは、おそらく人生で初めての体験だ。

 後姿を見送りながら、僕はなぜこんなにも感動してしまったのか不思議に感じていた。

 考えてみれば、このような街で生活することをステイタスとして感じる人も多いだろう。僕も心のどこかでそのような気分を味わいたくて、月に2,3回わざわざ早起きしてやって来ているのかもしれないのだ。

 それはある意味僕が屈折した自尊心を持っていて、それを満たしてくれるシャレた場所に、人々が本格的に活動を始める昼間の時間帯ならいざ知らず、早朝に軽トラックのように似つかわしくない車が現れるわけがないというおかしな思い込みが絶対にあったのだ。

 僕の心がおかしな優越感で洗脳されていた可能性もある。

 走り去る軽トラックを見て、僕の心が救いようもなく屈折していたのであれば「この街を軽トラックで走るんじゃねぇーよ」なんて思ったのかもしれない。

 しかし、僕は小気味よく新鮮に感じた。

 先入観が作られてしまうと、ひらめきを封じてしまうと言われている。それが破壊されて気持ちが良いということは、心が自由になった証拠、おかしな先入観から解き放たれた瞬間ではなかったのだろうか。おかしな固定観念に支配されるほど僕の脳細胞は死んでいない、まだまだ若い証拠だよということなのだ。そう信じることにしよう。

 僕は、屈折した先入観をいとも簡単にぶち壊して走り去っていった軽トラックに感謝しなければならないのかもしれない。

 僕の先入観が小気味よくぶち壊された瞬間に味わった爽快感、忘れてはいけないな。

 軽トラック、侮るなかれ。

 

 それにしても、印象深い出来事だった。朝日の中、山手通りを駆け抜ける軽トラック。そういえばせっかく一眼レフカメラを手にしていたのに、唖然として見送ってしまったよ。

 

 屈折した先入観がぶち壊される快感と共に、人間ってよくも悪くも先入観に縛られている面がかなりあるのだなと改めて考えさせられた出来事だった。

 生涯忘れられない光景になることは間違いない。

 そして軽トラック、この日を境に見る目が変わってしまいました。いつかは乗ってみたいな。

 そういえばアメリカでは日本の軽トラックが人気で、改良してオフロード車として楽しんでいる人がたくさんいるとか。アウトドアにも興味がある僕にとって、気になる存在がまた一つ増えた。

 軽トラック、懐の深い日本の車なのだ。